2011年03月13日
地震と津波と原発と
朝からどのチャンネルを見ても、震災のニュース
死者・安否不明者の方の数もどんどん見るたびに増えています
いかに大きな震災か、だんだんとその姿を現してきているようです
何度も何度も流される「津波にのみ込まれる町」「呆然と立ち尽くす人」
本当に同じ日本で起きたことなのかと信じられない気持ちです。
あたいは16年前、京都で阪神淡路の大地震の日を向かえました。
京都でもかなりゆれました。
家の中は足の踏み場もないほど、物が散乱し、家を出ると建物の壁が崩れ落ちているところが何箇所もありました。
震源地から離れた我が家でさえ、こんな有様でした。
電車は止まっていて、出勤できません。
当時は携帯電話も普及しておらず、通信手段は電話。
でも、家の電話はつながっておらず、公衆電話のみ。
公衆電話には長い列。
出勤できないことを連絡することもできませんでした。
いつまた大きな余震がくるかと、びくびくして、ゆっくり寝ることも、お風呂に入るのもおそろしかった
そんな記憶が甦りました。
今回は地震と津波と、そして原発と
まさに三重苦。
日本中の人が人事ではなく、ひとつにならなければ・・・と強く思いました。

死者・安否不明者の方の数もどんどん見るたびに増えています

いかに大きな震災か、だんだんとその姿を現してきているようです

何度も何度も流される「津波にのみ込まれる町」「呆然と立ち尽くす人」
本当に同じ日本で起きたことなのかと信じられない気持ちです。
あたいは16年前、京都で阪神淡路の大地震の日を向かえました。
京都でもかなりゆれました。
家の中は足の踏み場もないほど、物が散乱し、家を出ると建物の壁が崩れ落ちているところが何箇所もありました。
震源地から離れた我が家でさえ、こんな有様でした。
電車は止まっていて、出勤できません。
当時は携帯電話も普及しておらず、通信手段は電話。
でも、家の電話はつながっておらず、公衆電話のみ。
公衆電話には長い列。
出勤できないことを連絡することもできませんでした。
いつまた大きな余震がくるかと、びくびくして、ゆっくり寝ることも、お風呂に入るのもおそろしかった
そんな記憶が甦りました。
今回は地震と津波と、そして原発と
まさに三重苦。
日本中の人が人事ではなく、ひとつにならなければ・・・と強く思いました。
Posted by もくかず at 15:45│Comments(0)
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